ひと悶着ある中で、サッと辞めてしまわれた舛添前都知事。
最後はお金に汚い政治家として退場させられました。
「会計責任者に任せていたから…」というのは、舛添さんだけではなく政治家の決まり文句です。領収書等を会計責任者に直接渡していたのであれば、ご本人に意図があったことは間違いありません。
しかし、舛添さんの一連の報道を見ていると、どうしても頭に浮かんでしまうのが、「東京都が民間企業であったとしたら?」ということ。
海外出張が高額に…。
社有車で別荘に…。
観光ホテルで会議をしたから、その領収書を経費に…。
クレヨンしんちゃんのマンガを経費に…。
もちろん、舛添さんのケースが正当化される訳ではなく、民間企業でも正当化される訳ではありません。
ただ、見解の相違という表現が用いられることがあるように、表面的な事実だけを捉えて、全てがダメだという訳ではありません。
クレヨンしんちゃんのマンガを経費で処理できないということはありません。
合理性があれば問題ないのです。
企業における経費性というのは、経済活動の一環として合理性があるかどうかがポイントです。舛添さんの場合も政治活動として合理性があるかどうかが判断の分かれ目だったはず。
舛添さんの問題を企業の経済活動として考えれば、おそらく経費として否認対象にはなりにくいかと考えます。調査をされた弁護士も、政治資金の使途に法的な制限がないことを挙げて、違法とは言えないということでした。今回はあくまで政治問題として退場させられただけです。
(「見解に相違」はあるでしょうが…)
もちろん、これらを経費で処理せず、個人で負担する方もいらっしゃるでしょう。しかし、これは考え方の違いです。個人で負担するのが善で、経費で処理するのが悪という訳ではありません。経済活動に倫理を持ち込むと少し厄介です。
経費として処理できるものを個人負担する。
個人負担すべきものを経費として処理する。
この二つは全く別の話です。
では、どこを判断基準にするのか?
と問われれば、我々は「タックスプランニングです」とお伝えします。
特に、中小企業においては、会社のお金とオーナー社長のお金は一体であると考えます。会社はすごく儲かって、お金もたくさんある。しかし、オーナー社長個人は借金もあるし、お金がない、という状態は健全ではありません。
もちろん、会社の問題と個人の問題は別と考えるのは当然です。しかし、個人の問題が会社の問題につながるのが中小企業の経営です。逆もまた然り。
例えば、自社株式に対する多額の相続税が払えなければ、その会社や事業はオーナー一族の手から離れる可能性があります。そのとき、従業員の雇用や取引先はどうなるでしょう?
会社には全くお金がなく、今にも潰れそうだが、オーナー経営者個人は生活に困らないほどのお金がある。このような状態であれば、そもそも会社を継続する必要もありません。そのとき、従業員の雇用や取引先はどうなるでしょう?
すなわち、中小企業においては、会社とオーナー経営者の財布を一体と考え、より多くのお金が手元に残るようタックスプランニングすることが必要です。
経費性があるものは極力経費として処理することが、タックスプランニングに資するのであれば、そのようにされることをお勧めしています。役員報酬の金額を決める際も同じことが言えます。
ただし、タックスプランニングを無視する場合もあります。それは、企業の規模拡大や成長投資を継続的に図る場合です。このような時期はとにかく会社にお金が必要です。会社でより多くの利益を出し、会社で納税し、内部留保を積み上げ、より有利な条件で借入れを行い、継続的な投資が必要です。
多額の法人税を納めたくないから、タックスプランニング上有利だからと過度な節税を行ったり、役員報酬の無理な引き上げを行うことは、会社の成長資金を奪うことになります。
そもそも、タックスプランニングは十分な内部留保が積み上がった会社が行うべきものと言えます。
舛添さんの報道を見聞きして、ご自分の経費の使い方について内心穏やかではなかった中小企業の経営者もいらっしゃったのではないでしょうか(苦笑)
国には、倫理性が高い方には税金を少なくするという考え方はありません。税金を課すべき事由が生じたときに課税します。従いまして、例えそれがクレヨンしんちゃんのマンガであっても、経費として処理すべき事由が生じたときに経費として処理するのは、否定されるべき行動ではありません。
そうだからといってやり過ぎてしまえば、ご自身の首を絞めることになりますので、タックスプランニングを考慮しつつ、現在の状況に合せたご判断を行っていただければと考えます。
今回の舛添事件は、中小企業のオーナー経営者にとって、非常に参考になる事例ですね。